2012年10月2日火曜日

うるしが固まるまで・・。

 うるしって塗ってからどれくらいで固まるのか?


 昔から「漆器は塗りあがってもまだ半製品、すぐに納品しないで上塗り後は自分のところで100日間養生して、ようやく完成品」というように、作ってからおよそ100日程度できあがった漆器を養生する慣習があり、これが漆器に塗られた漆の硬化反応が「おおよそ完了する」期間と言われています。


 一般に、うるしは塗った翌日には指で触れるくらいには乾いていて、1週間もすると指を強く押し当てても傷がつかない程度には硬化します。
 しかし、それでも化学的な反応は途中で、本当に「うるしが乾いていると言っていい状態」になるはもっと先の段階になります。


 最近、うるし部のみなさん(?)とそんなお話で盛り上がっていたこともあって、パラパラと文献をあたっていたら、ちょうどいいデータを見つけたのでご紹介します。

 下記のグラフは「うるしを塗ったあと20℃、0~95%の相対湿度環境で一定期間塗膜を養生した時の不溶化率」のグラフです。


(見城敏子氏『漆塗膜に関する研究』より)


 縦軸は「不溶化率」を表し、これはたとえば、塗膜1gを酢酸に漬けたあとに重さが0.9gに減っていたら不溶化率は90%というようなイメージのもので、「うるし膜がどれだけ固まっているのか?」を測る指標になります。
(※ 実際の生データでは試料は1gではありません)

 横軸が時間を表し、左の小さいグラフでは「うるしを塗った後~25時間」までの最初の約1日間を「時間」で表したもので、右のグラフが「うるしを塗った後~100日間」までの長いスパンを「日」の尺度で表したものです。

 つまり、「左のグラフ」→時間の単位が大きくなって「右のグラフ」へ続く・・という見方です。
なお、「うるし膜」は水溶性の成分や水分自体も含有していますので、どんなに時間をかけて硬化させても「不溶化率」が100%になることはありません。

 左側のグラフからは、ごく初期の塗膜硬化の立ち上がりでは95%RHの高湿度環境で不溶化率の上昇が著しいことがわかりますが、やがては鈍化して、より低湿度環境で硬化させた膜に追い越されていく傾向が見て取れます。

 昨今は、「うるしは加湿雰囲気で硬化させる」という話が独り歩きしすぎていて、どぼどぼに濡らしてした極端な高湿度環境で硬化&養生されるケースもあるのですが、それではかえって弱い塗膜になってしまいます。
 昔から「ゆっくり乾いた膜ほど強い」と言われていて、そのことがこのグラフからも見えます。

 
 さらに右側のグラフをみると、概ね塗装後40日間で55~95%RHの環境で硬化&養生している塗膜の不溶化率は上限と思しき値で一定になっているように見えるのが判ります。
 また、43%RH硬化のサンプルはまだグラフが上向いており、グラフの傾向から100日よりもっと後になれば55%RH硬化の塗膜よりも不溶化率が高くなると考えられます。
 そして、0%RHの環境の物は全く不溶化率が上がっておらす、「固まっていない」ことが読み取れます。


・高すぎる湿度はダメですが、全くないのもダメ。

・低湿度環境の方が塗膜の初期硬化は遅めだが、最終的な不溶化率は高くなる。

・55~95%RHの環境では、概ね塗装後40日間で不溶化率が頭打ちになる。

ということがこのグラフからはわかりました。
 「不溶化率が頭打ちになる」あたりが「うるしが乾いていると言っていい状態」と見ていいでしょう。
 こうなるとうるし膜は爪でひっかいても傷もつかない、酸にもアルカリにも耐える実用強度を持ちます。


 さて、うるしが固まるまで概ね40日間というわけですが、これは実験のために「塗り1回分」程度の膜厚を単体で塗装したサンプルでのお話です。

 実際の漆器は、1工程の間にそれぞれ40日間も養生期間を置くことはありませんから「一見乾いたように見えるし、研いだりもできるけれど、化学的には本当は乾ききっていない状態」のまま、何層も塗り重ねていることになります。

 その結果、塗り重ねた分だけ下の層のうるし膜は酸素との反応が遅くなりますから、仮にこのグラフのように「漆器に塗られているうるし膜全体」の不溶化率を描くとしたら、その線のカーブも緩やかに上昇することなり、「乾いていると言っていい状態」が来るのは塗装後40日よりもだいぶ後になることが想像できます。

 もちろん「漆自体の反応性」や「気温」、「塗装工程・塗った回数や厚み」によって変わってきますが、 これが、塗りあがった漆器を「おおよそ100日間」養生しておく理由なんだろうと思います。




■余談ですが・・・■

 塗装後40日間程度でこのグラフからは「不溶化率が頭打ちに」なっているように見えますが、実際にはこの真横に伸びているように見える線もほんのわずかに上へ向かっているようで、塗膜の硬化反応が完全に終結するのはさらにもっと後だと言われています。
SCASの豊島 清氏によれば、その期間は8年ということですが、一方で漆器に塗られた漆の塗膜は「硬化反応が完全に終結する」まえから、(これはとてもゆっくりしたスピードですが)すでに劣化も始まっています。

つまり、意図的な実験環境を整えない限り「完全に硬化していて劣化もしていないうるし膜」という状態は、通常の漆器塗装の環境では作れないということになりますね。


なので、よくうるしのセールストークで用いられる
「完全に硬化したうるし膜は何者にも侵されない」という表現は、
「うるし膜には水溶性の成分があり、珈琲にさえ溶け出す」という漆のメイン樹脂であるウルシオールから出発した硬化膜以外の含有成分が「何者か(たとえば水とか)に侵されてしまう」ということと、確かに完全に硬化したと言えるような状態になればまず溶けることはないであろう「ウルシオールから出発した硬化膜」も、おそらくその漆器のそれは「完全には硬化してはない」よ、という現実によって明らかなウソということになっちゃいますね。